十本目
前の記事で、渡すものを成果から材料に変える、と書いた。
では、その材料をどう出すのか。今回はその話だ。
握りすぎる
事実は、しばらく掌で転がしていられる。
見たことを、そのまま手の中で眺めている状態だ。何度も角度を変えて見る。まだ形は変わっていない。
でも私は、途中で握ってしまう。
握りすぎると、解釈になる。
「あの人はこう思っている」「あれはこういう理由だ」——手の中で固まって、私の形がついたものになる。
握るのは速い。いつもの形だからだ。 得意な形があるから、数秒で済む。
ただ、問題はそこではない。握ってしまうこと自体は、たぶん止められない。 考えるのが好きなのだから、手が動く。
問題は、握ったものをそのまま渡すことの方だ。
渡された側は、まず私の形を崩すところから始めなければならない。面倒だ。だから受け取られずに終わる。
尋ねられてもいない解釈は、伝えても伝わらないんじゃないか。
五本目に「十中八九、受け取ってもらえない」と書いた。理由は、たぶんこれだ。
中身の問題ではなく、形がついているから受け取れない。
置くという手
だから、握ったものは渡さない。
石だけを置く。
渡すのと、置くのは違う。
渡せば、相手はその場で受け取るか断るかを決めなければならない。手が伸びてきている以上、無視はできない。
置くだけなら、触るかどうかも、いつ触るかも、相手が決められる。
これを私は、置き石と呼んでみる。
触れると、何かを感じる石
私のイメージでは、触れると何かを感じる石だ。
関心のある人が触れば、強く感じる。関心がなければ、ただの石のまま転がっている。
効き目を決めるのは、私ではない
ここがこの手の一番いいところだと思う。
出力を決めるのは、置いた側ではなく触った側だ。
だから押しつけになりようがない。相手の関心が薄ければ、何も起きずに終わる。それでいい。
五本目で、私は自分にブレーキをかけていた。渡したくなったら、まず自分に戻す、と。置き石は、そのブレーキが仕掛けの中に入っている。 我慢しなくていい。
私は、置かれた側になったことがある
これに気づいたのは、自分が置かれた側になったからだ。
あるとき、同じ職場の人から、何気ない一言を聞いた。判断も評価もついていない、ただの事実だった。
私は勝手に考え始めた。何日も考えた。
たぶんあの人は、私がその話に関心を持っていることを知っていたのだと思う。だから置いたのだろう。あるいは、本当にただの世間話だったのかもしれない。
どちらでも同じだ。私はまんまと思考してしまった。
考えることが好きな人には、この手はよく効くのだろう。
意図は、伝わらない
そして今の話が、この手法の性質も示している。
置かれた側は、置いた側の意図を知りようがない。
私はあの一言を置き石だと思ったが、確かめてはいない。違う意味に受け取っている可能性もある。
ただ、関心が強ければ、言外のところまで汲まれることはある。 私が何日も考えたのは、たぶんそれだ。
そして汲んだ人は、動き出すか、置いた人のところへ戻ってくる。
そうは言っても、弱い
正直に言えば、効果は弱い。そして読めない。
解釈を抜いているのだから、当たり前だ。
でも、その弱さと読めなさは、押しつけにならない理由でもある。
制御を手放す代わりに、抵抗を買わない。同じことの裏と表だ。
どちらか一方だけは取れない。
それでも、置く理由
私には職位がない。だから、決められない。
でも、材料を置くことはできる。
私より信用のある人が触れば、その人が動くかもしれない。 その人の言葉なら通るかもしれない。
私の手柄になる必要はない。むしろ、ならない方が通る。
そして、小さく試せる。話しても不自然でない相手に、不自然でない量だけ置く。外しても何も起きないし、信用も減らない。
返ってくることもある
もう一つ、期待していることがある。
置いた石を拾った人が、そのまま私のところに持ってくることだ。
「これって、こう思うんだけど、あなたはどう思う?」
そういう形で返ってきたら、一番いい。相手の中で一度考えられたものが、質問になって戻ってくる。
そして、その石をもとに話し合いが始まる。
たぶんこれが、置き手冥利に尽きる状態だ。
私のところに来なくても、物事が進むならそれでいい。でも、話が生まれた方が、置いた甲斐はある。
全部が置き石で済むとは思っていない
関心が集まって、話ができるようになって、信用が貯まったら、そのときは形にして渡す番が来る。そういう場面を扱った研究もあるらしい。
順番があるのだと思う。はじめは置いて、徐々に形にする。
順番を飛ばして、いきなり握ったものを渡すと、たぶんどこかでぼろが出る。私は一度それをやった。
遅く見えて、早い
握るのは速い。置くのは、遅く見える。
でも、たぶん逆だ。
職位のない私が握って渡しても、通らない。 速く作って、速く捨てられるだけだ。
置いておけば、誰かが触るかもしれない。触った人が動くかもしれない。私のところに戻ってくるかもしれない。時間はかかるが、進む可能性がある方が、結局は早い。
職位がついたら、たぶん選択肢が増えるだけの話だと思う。握る手も使えるようになる。それだけだ。
だから今は、置く方をえらぶ。
みずから えらぶ
渡すものを、成果から材料に変えると書いた記事。私のこだわりシリーズ9本目。
十中八九、受け取ってもらえないと書いた記事。私のこだわりシリーズ5本目。
順番を飛ばして、握ったものを渡した話。私のこだわりシリーズ8本目。
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