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線の内側で、できること

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九本目

前の記事で、職位がないとできないことがある、と書いた。

書き終えてから、引っかかった。

私は、できない理由を職位のせいにしすぎていないか。

線の内側にも、場所はある

前の記事の終わりの方で、こう書いた。

線の内側でなら、試せることもある。

あの一行を、そのままにしていた。掘ってみる。

職位があっても、できるとは限らない

まず、前提を疑ってみる。

職位があれば権限が生まれる。それは確かだ。でも権限があるというのは、指示できる立場になるということでしかない。

指示が出来ることと、人が動くことは別のことだ。

実際、職位を持っている人でも、そこがうまくいっていないことはある。決められる立場にいるのに、決めたことが回っていかない。権限は入口をくれるだけで、その先を保証しない。

だとすると、その先の部分は、職位と関係なく持てるはずだ。

私がやりたいのは、たぶんこれだ

正しいことを伝えるだけでは、人は動かない。

私がやりたいのは、たぶん相手が自分で考えるような関わり方だ。答えを渡すのではなく、考える場所を渡す。

これには権限が要らない。線の内側でできる。

そしてどうやら、この領域にはちゃんとした研究があるらしい。今、本を読み始めたところなので、それはいずれ別に書く。

私の失敗の形

ただ、自分を振り返ると、正反対のことをしている。

私は、見たことを飛ばして、いきなり解釈から話してしまう。

「あの人は、たぶんこう思っている」
「あれは、こういう理由でああなっている」

考えた結果から入る。

でも聞かされる側には、私がそこに辿り着いた道が見えていない。途中の景色が共有されていない。

道が見えないと、相手にできることが極端に狭まる。

反論の足場がないのだ。 それは議論ではなく、判定を求めているだけになる。

押しつけがましく感じられて当然だと思う。ほとんど誘導だからだ。

事実を置くと、余地が生まれる

たとえば、「苛立っていた」と「机を叩いていた」は違う。

後者は、その場にいれば誰でも確認できる。共有できる。

前者は、私の頭の中で起きたことだ。共有できるのは結論だけで、そこに至る過程は渡せない。

事実だけ置けば、相手は自分の解釈を出せる。 「私は違うふうに見えた」と言える。そこから初めて、話が動く。

面白いのは、書く場面では私もこれができる、ということだ。見たことと考えたことを分けて書ける。 それなのに、話す場面になると飛ばしてしまう。

なぜ飛ばすのか

たぶん、答えは単純だ。

私は、思考したことを話したいのだ。

解釈は、私の思考の成果だ。時間をかけて考えて、やっと辿り着いたものだ。だから渡したくなる。

でも、渡すべきものは逆だった。

解釈を渡すのは、自分の思考を渡す行為だ。観察を渡すのは、相手に思考してもらう行為だ。

私は思考が好きなのに、相手からは思考を取り上げていた。

そして、これはただの礼儀の話ではないと思う。

自分のことを、自分以上に考えてくれる人はいない。 たぶんこれは、大部分で本当だ。

だとすれば、私が考えて答えを渡すより、相手が自分で考えた方が、結果としては早い。私は材料を出す係でいい。

それに、考えること自体が面白い。少なくとも私はそう思っている。面白いところを先に取ってしまうのは、もったいない。

五本目と、同じ形だった

五本目で、お節介について書いた。渡したくなったら、まず自分に戻す。出口を一つに絞る。

今回は、少し違う。渡すこと自体は止めなくていい。

変えるのは、渡すものの中身だ。成果ではなく、材料を渡す。

そこに少しの作為が込もっているのは、目をつむってほしい。

だから、こうする

イフゼンにする。

話したくなったら、解釈の前に、まず観察を置く。

「私にはこう見える」から始めない。「こういうことがあった」から始める。

そのうえで、解釈も言っていい。ただし順番を守る。 材料を先に置けば、相手はそれを使って自分で考えられる。私の結論に賛成する必要がなくなる。

これなら、今日からできる。誰の許可も要らない。

職位への近道か、と考えかけた

こういうものを積み上げれば、職位に近づくのではないか——と、一瞬考えた。

たぶん違うと思う。

評価する側の物差しに載っていないものは、いくら積んでも通行証にはならない。前の記事で書いた通り、私の提案は明確な返事をもらえなかった。そういう場所なのだ。

だから、宛先を変える。

出世に効くかどうかではなく、目の前の相手に効くかどうかで測る。 それなら、通っても通らなくても損はしない。

ただ、職位を持った時に、このような小技が出来ていたほうがよいだろう。

半分は、言い訳だった

線の内側にも、やることは残っていた。

職位がないからできない、というのは、半分は本当だ。でも残りの半分は、たぶん言い訳だった。

できないことを数えている間、できることを探していなかった。

自分で選んだ地獄で、私にとって意味のある選択を、みずからえらぶとする。

みずから えらぶ

職位がないとできない、と書いた記事。私のこだわりシリーズ8作目。

渡さないと決めた記事。今回は、渡すものの中身について考えた。私のこだわりシリーズ5作目

思考が私のこだわりだと書いた記事。その思考を、私は人から取り上げていた。私のこだわりシリーズ3作目

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