「私なら浮気じゃなく本気になるかも」
遊びたい大人が言われたら、ちょっと引くフレーズである。私は自分のことを、このタイプだと認識している。
もちろん浮気はしたことがない。もちろん、本気になった浮気もない。
良心ではなく、面倒くささだった
私が浮気をできないのは、良心の呵責や、まじめな性格からくるものだと、もともとは思っていた。だがいまは、嘘をつくのが面倒くさいからだと認識している。
私は嘘が苦手である。嘘をつけないわけではないのだが、できたらつきたくない。面倒くさいからだ。
話していい内容かを吟味し続けないといけないし、吟味すべきことはどんどん積み重なっていくだろう。その負担と私のワーキングメモリーとを見比べると、おそらく浮気は破綻するのだ。
年に一度の、サンタの嘘
そんな私でも、嘘をつき通していることがある。クリスマスのサンタだ。
プレゼントはサンタから届く設定なので、準備は秘密裏に進めている。子どもがサンタへの手紙を書いたら、こっそり回収して、見つからないように処分するか、そっとしまう。処分するならまだよいが、思い出のために取っておくとなると、保管場所を考えるのも一苦労である。
置き場所に困るのは、それが証拠だからだ。
リマインダーに、預けられないもの
私はふだん、ワーキングメモリーの小ささを、リマインダーやチェックリストに預けることでしのいでいる。前に、リマインダーに預けたら「あれをしなきゃ」と考える私が、もう居なかった、と書いた。
ところが嘘は、外に預けられない。理由は二つあると思っている。
一つは、サンタの手紙と同じで、外に置いた物は証拠になるから。
もう一つは、私にとって外に預けるとは、意識しなくなるということだからだ。用事なら、それでいい。適した時期に、リマインダーが教えてくれる。だからこそ自由になれた。だが嘘でそれをやれば、誰に何をどう言ったかが頭から抜けていき、そのうち辻褄が合わなくなる。
結局、嘘は頭の中に置いておくしかない。外に置けば、ばれる。中に置けば、容量を食い続ける。
それでもサンタの嘘をつき通せているのは、頭に置いておくのが年に一度、短い期間で済むからだと思う。しかもサンタの嘘は、いつか種明かしをする前提の嘘である。浮気の嘘は毎日続き、種明かしの日が来たら終わる。
年に一回、期限つきの嘘でさえこれだけ骨が折れるのだから、浮気の認知的負担は想像を絶する。
だから、本気の場合しかない
軽い気持ちの浮気は、私には割に合わない。わざわざ変なコストを背負うくらいなら、最初から行動に起こさない。
行動に起こすとしたら、嘘の負担を背負ってでも求めているか、いまの生活を捨ててでも求める相手のときだけだろう。後者なら、嘘をつく必要そのものがなくなる。どちらにしても、それはもう軽い気持ちの浮気ではない。本気である。冒頭の「本気になるかも」は、そういう意味だ。
切り替えが苦手で、頭に抱えておける量も少ない。この特性の組み合わせでは、一対一でしか、うまくいかない。多対一になった時点で、回らなくなる。何人もを相手に、話を切り替えながら同時に抱えておくことは、私にとって良性のスリルにはならない。悪性のストレスにしかならないのだと思う。
もし私に軽い浮気心が芽生えたら、この記事を読み返して、踏みとどまるようにしよう。
「浮気は、お前に扱える代物ではない。嘘がばれるか、嘘をつくことに疲れるか、どちらかだ。やめておけ。」
純朴ではなく、省エネ
発達の凸凹がある人は純朴に見える、という話を聞いた。嘘をなるべくつかない(と言うか、うまくつけない)私も、外からはそう見えるのかもしれない。私自身、長いあいだ、まじめな性格のせいだと思っていたくらいだ。
だが中身は、純朴でもまじめでもない。ただの省エネである。
省エネでも、結果が誠実なら、それでいいことにしておく。
みずから えらぶ
私の凸凹が何なのかは、ここに置いてある。
覚えて置ける量が少ない、という話は、ここから。
外に預けてきた道具の話。
「芽生えたら、読み返す」は、この形をしている。