十一本目
五本目の最後に、私はこう書いた。
どこまで行っても、私は自己本位が地なのだと思う。
今回は、そこを書く。
私は、内側から湧く
自分を振り返ると、はっきりしていることがある。
私は、自分について考えている時に力が戻ってくる。
朝、誰にも邪魔されない時間に、本を読んで、考えて、書く。それだけで一日が持つ。
逆は起きない。人のために何かをして力が湧く、ということが、私にはない。
人と接すると、着火する
誤解のないように書いておくと、人と接するのが嫌なわけではない。むしろ、人に会うと何かが動く。
ただ、動き方が違う。
その人のために何かをしたから、湧くのではない。
その人の話が、私の思考を動かすからだ。
どうでもいい話は、そのままなら本当にどうでもいい話だ。でも、私がその人に何かしら興味を向けていると、どうでもいい話が、どうでもよくなくなる。
そこから私は、勝手に考え始める。
つまり私にとって、人に会うのは自分のことを考えるための刺激をもらいに行くようなものだ。ずいぶん自分勝手な話だが、そうなっている。
自分がないまま尽くしても、湧かない
だから、そこが切れると駄目になる。
人の話が自分に戻ってこないまま、その人のために動き続けると、何も湧かない。使うばかりになる。
人の役に立つことで元気が出る人がいる。本当にいる。そういう人を見てきた。
私は、そうではなかった。
昔は、代用品で持ちこたえていた
以前、自分について考える時間がまったくなかった時期がある。
その頃、私は人のことを考えることで持ちこたえていた。
一人ひとりに合った形を探すのは、好きだった。そこにかろうじて自分の価値観を見つけて、それでやっていた。
でも、あれは自分に戻ってこない思考だった。 相手のことを考えて、そこで終わっていた。
似た見た目だが、私の燃料ではなかった。
だから、切れた。
順番が、逆だった
足りなかったのは、我慢でも工夫でもない。
自分本位さだ。
必要な出力は、もっと割り切って出せばよかった。そのうえで、自分のことを考える時間を先に取るべきだった。
そうしなかったのは、自分のことを考える時間が、後回しにしていいものに見えていたからだと思う。
仕事のことを考えているうちは、真面目にやっている感じがする。自分のことを考えるのは、それより優先度が低く見える。
秤に載っていなかった。
今は、逆にしている
まず自分のことを考える。その先に、特定の誰かや、特定のことについて考える時間がある。
順番が変わっただけだ。他者について考えるのをやめたわけではない。
むしろ増えている。 燃料が来ているからだ。
滲み出るものしか、渡せない
五本目の最後に、自分本位の先で何かが滲み出る、と書いた。
自分のために考えて、自分のために止めておいたものが、いつか誰かに求められた時、役に立つ形で出ていく。
順番が守られている限り、それは出てくる。逆にすると、涸れる。
自分本位というのは、たぶん悪口として使われる言葉だ。
でも私の場合、自分本位が足りないと、人に渡せるものが無くなる。
先に自分を満たすのは、自分のためだけではなかった。
それでも、後ろめたい
正直に書くと、後ろめたさは残っている。
朝の時間を守ることも、人と向き合う時間を減らすことも、自分を優先していることに変わりはない。その分、誰かが何かを負担しているかもしれない。
ただ、涸れた状態で無理に配っていた頃より、今の方が渡せているとは思う。
自分本位が、足りなかった
それが分かるまでに、ずいぶんかかった。
今は、先に自分を満たす方をえらぶ。
みずから えらぶ
「自己本位が地だ」。私のこだわりシリーズ5本目。
燃料は自分で入れるしかない。私のこだわりシリーズ2本目。
見た目の似た違う燃料の話。私のこだわりシリーズ4本目。