私は自分を内向型だと思っている。
ところが、FFPQという性格検査を受けてみたら、外向性のスコアは日本人の平均より少し低いだけだった。受ける前は、もっと低い数字が出ると思っていた。
FFPQというのは、性格を測るための日本語の検査である。もとになっているのはビッグファイブという考え方で、性格を五つの要素の組み合わせで捉えるものだ。心理学ではよく使われている枠組みである。外向性は、その五つのうちの一つにあたる。
つまり私は、人より相対的に内向寄りではあるが、絶対的に内向性が高いわけではない。自分で思っていたほどの内向型ではなかったのだ。
学生の頃は、外向的な人間だった
学生の頃の私は、自分を外向的な人間だと理解していた。
集団で旅行をする計画を立てる。何かと集団の中心にいられるように動く。そういうことをしていた。
ただ、当時からうっすらと虚しさがあったように思う。刹那的には楽しい。だが、根本的に満たされるわけではなかった。
いまは違う。自宅で本を読んだり、一人で何かをしたりする時間が、大事でたまらない。
両極を、いちおう知っている
学生の頃から今にいたるまでで、私は内向と外向の両極を、いちおう知れたのだと思う。
片方しか知らなければ、もう片方を憧れか偏見で語ることになる。両方を通ったぶん、どちらも大きく見積もらずに済んでいる気がする。
内向の時期に、出会ったもの
一人の時間が増えた時期に、私は「聴く」ことに出会った。
同じ頃、発達特性についても、もっと見識を深めたいと思うようになった。
しばらくして、この二つに共通点があることに気づいた。どちらも、人を直接介さないと発揮できない。
本を読めば、知識は増える。だが、聴く力は、聴かせてもらわないと育たない。特性への理解も、目の前に人がいないところでは試しようがない。育てる場所が、自分の内側にないのだ。
だから、私は人に会う
私が人に会おうとするのは、たぶんこれが理由である。
外向的だから会いに行くのではない。会わないと育たないし、試せないから会いに行く。
そして実際に会うと、私の思考は弾む。前に「人と接すると着火する」と書いた。あれも、ここに繋がっているのだと思う。
会えば、余計なものもついてくる
もっとも、人に会えば、余計なコストも発生する。
仕事なら、やりたい仕事だけをやる、というわけにはいかない。 人がいれば、その分だけ、自分の望まないものも回ってくる。それが、人に会うことのコストだ。
それでも私は、この形を受け入れやすい。やりたいわけではない仕事もやることで、やりたい仕事もできる。 そういう落とし所が、私にはしっくりくる。
オンラインで完結する仕事のほうが、自分のライフスタイルには合っていると思っていた。だが、どうやらそうでもないらしい。オフラインの仕事は、私にとって欠かせないものなのだと思う。
内向か外向かでは、決まっていなかった
こうして並べてみると、私が人に会う理由は、内向か外向かでは決まっていなかった。
決めているのは、育てたいものが、人の前でしか育たないという一点である。
みずから えらぶ