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あいて経由、わたし着 〜わたしのお節介〜

目次

五本目

ここまで四本、自分のことばかり書いてきた。

今回は、その思考が他人に向いた時の話を書く。

私は、お節介が好きだ

頼まれてもいないのに、人のことを考えてしまう。

あの人はなぜあの手順でやるのだろう。こうすればもっと楽になりそうだ。あの場面では、こう返した方が良かったのではないか。

誰にも頼まれていない。それでも考えている。

これを私は、長いことお節介と呼んできた。少し後ろめたい言葉として使っていたと思う。

でも、たぶん思考の一種だ

一本目で、私のこだわりは思考することらしい、と書いた。

だとすると、これは同じことだ。思考の対象が、自分から他人に移っただけ。

繰り返し出会うことや、興味のあることには、私は必ず考えてしまう。人は、その両方を満たしている。毎日出会うし、何より面白い。だから考える。

お節介は、私の性格の問題ではなく、思考の向き先の問題だった。

過ぎると、出てしまう

考えているだけなら、誰にも迷惑はかからない。

ただ、お節介が過ぎると、衝動に負けて行動に出ることがある。

理由ははっきりしている。私の思考の中では、そうした方が良いに決まっているからだ。 考えた分だけ確信が強くなっていて、渡したくなる。

そしてもう一つある。相手に進捗を求めてしまう。

こうすれば良くなるはずだ、と思っている以上、相手が動かないと落ち着かない。私の中ではもう答えが出ているので、動かないことの方が不思議に見えてくる。

ここまで来ると、もうお節介ではない。要求だ。

渡しているつもりで、求めている。方向が逆になっている。

渡すと、どうなるか

では、渡すとどうなるか。

まず、求められていない助言は、たいてい歓迎されない。良かれと思って渡したものが、相手には評価に見えたり、否定に見えたりする。相手は困っているとも言っていないのに、こちらは解決策を持って立っている。

そして、十中八九、受け取ってもらえない。

当たり前だと思う。相手は必要だと言っていないのだから。

その時、私はたぶん虚しくなる。せっかく考えたのに、と思ってしまう。

つまり渡すという行為は、高い確率で私をすり減らす。相手に迷惑をかけるかもしれない、というだけの話ではない。私が損をする。

待った方が、得だ

逆に、相手自身が「これが要る」と感じる時が来たら、その時は受け取ってもらえるだろう。

同じことを言っても、届き方がまったく違う。

その方が、私にとっても良い。

短期の利益より、長期の利益を取る。 今すぐ渡して虚しくなるより、待って受け取ってもらう方が、勘定が合う。

これは相手への配慮というより、私の損得の話だ。

止めた思考は、消えない

しかも、止めた分は無駄にならない。

考えたことは、そのまま引き出しになる。あの人はなぜあの手順なのか、と考えた時間は、次に似た場面に出会った時に使える。こういう時はこうしよう、という形で残る。

渡さなかった思考が、自分の道具になっていく。

渡せば、すり減る。渡さなくても、引き出しは増える。

だから、イフゼンにする

以上を、私のルールにする。

渡したくなったら、思考の向きを自分に戻す。

そして、こう考える。今これを渡して、受け取ってもらえるだろうか。相手は求めているだろうか。求めていないなら、渡すのは私の損だ。

相手に開くのは、尋ねられた時だけ。

考えるのは自由にやる。制限しない。出口だけを一つに絞る。

これは冷たさではないと思っている。ドアは開けたままにしてある。ただ、こちらから入っていかない、というだけだ。

ただし、渡さないといけない時もある

とはいえ、尋ねられるまで待てない場面もある。

伝えないと危ないこと。今日中に決めなければいけないこと。子どもに教えること。仕事で共有すること。

そういう時は、渡す。当たり前だ。

ただ、その場合でも守ることが一つある。

渡したときは、求めない。

渡すだけ渡して、あとは相手の咀嚼に任せる。受け取ったかどうか、変わったかどうか、進んだかどうかを、こちらから確かめに行かない。

先に書いた通り、私が問題を起こすのは渡す時ではなかった。求める時だった。

だから、渡すこと自体を禁じる必要はない。禁じるべきなのは、渡した後で進捗を見に行く方だ。

もっとも、仕事では求めることも必要になる。伝わったかを確かめ、進んでいるかを見ることが、役割のうちに入っている場面はある。そこまで手を離すわけにはいかない。

だからこれは、場面を選ぶルールだ。

私の場合は、特に子育てで求めない。

仕事と違って、期限がない。関係も長い。だから急いで受け取らせる必要がない。ここでこそ、短期より長期を取れる。

渡す。そして、手を離す。

結局、私に戻ってくる

冒頭で、今回は思考が他人に向いた時の話を書く、と言った。

でも書き終えてみると、全部が自分に戻っている。渡さない理由も、待つ理由も、結局は私の損得だった。

どこまで行っても、私は自己本位が地なのだと思う。

ただ、二本目にも書いたが、その先で何かが滲み出るらしい。自分のために考えて、自分のために止めておいたものが、いつか誰かに求められた時、役に立つ形で出ていく。

私は、人のことを考えるのをやめられない。たぶん、これから先もやめられない。

でも、それを渡すかどうかは選べる。

だから今日も、考えるだけ考えて、渡さずに持って帰る。

みずから えらぶ

連作1本目、洗濯物の畳み方から始めて、自分のこだわりを数えてみたら、たぶん一つしかなかった。この記事の出発点になっている。

連作2本目、渡さずに持って帰ったものが、その先でどうなるのか。「滲み出る」と書いたのは、この回だ。

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