私は前に、人のために料理をするのが苦手だと書いた。
実は、もっと苦手なものがある。掃除だ。
積極的にやる意味すら、あまり感じていない。可能な限り、必要最低限のさらに最低限を狙う。狙うと言うと格好よく聞こえるが、要するに、したくない。
そんな私を見かねたのか、ある日、パートナーに言われた。
「掃除だけはして」
「(おぉ、そういうことでしたか)」
妙に合点がいった。
私は料理側、パートナーは掃除側
私はどちらかと言うと、家事の中では料理のほうが必要だと思っていた。食べないと死ぬが、掃除をしなくても、すぐには死なない。至極当たり前のことだと思っていたが、パートナーの文脈では、そうではなかったようだ。
もちろん、字義どおり掃除だけしていればいいわけではないのは分かる。「料理にコミットするくらいなら、掃除をしてくれ」という意味なのだろう。
実際、パートナーは晩ご飯の買い食いを厭わない。私が晩ご飯を作れなくて申し訳なさそうにしても、「気にすることはない」と返ってくる。本当に、気にしていなさそうなのだ。
一方で休日になると、「いつ掃除したの?!」と毎週のように小言を言われる。そちらは、私が気にしていない。あべこべだ。
ちなみに、時間的余裕と私のやる気が奇跡的に重なって掃除をしても、パートナーからポジティブなフィードバックはない。報われない。もっとも掃除は、できていて当たり前、できていないと目立つ側の家事なのだろう。
私の価値観は、完璧に料理側に振れている。パートナーの価値観は、どうやら掃除側にある。どちらが正しいという話ではないのだが、噛み合っていないと分かった時点で、私はわりと落ち込んだ。
得意技は、捉え方の変換
とはいえ、文句ばかり言っていても私の人生は進まないので、得意技である捉え方の変換を行う。リフレーミング、認知的クラフティングというやつだ。本来は仕事の話だが、私は家事にも転用している。
これまで私は、掃除を「部屋を綺麗にする行為」ではなく、「パートナーが大事にしているものを、大事にする行為」として捉え直してきた。
効果のほどは、重い腰が少し軽くなった程度だ。
金曜日に掃除をする
そこに実務的な作戦として、「金曜日に掃除をする」も採用している。
平日は、小言を言われる頻度が少ない。おそらく、汚れへの感度が下がっているのだろう。休日になると余裕が生まれ、その余裕を引っ提げて、私への小言になる——そういう仮説に基づいた作戦だ。
これは実施できれば結構効くのだが、実施までのハードルが高い。当たればホームランでも、当たらなければ意味がない。
書いていて思ったが、これもリマインダーの使いどころだ。
ただ、リマインダーを設定しても、したくないことに変わりはない。そこは、先ほどの捉え直しで乗り切るしかない。
それが、私にとっての掃除
綺麗にするために掃除をするのではない。パートナーが大事にしているものを、大事にするために掃除をするのだ。信用を貯め、信頼を勝ち取るのだ。
それが、私にとっての掃除なのだ。
いずれは、ロボット掃除機を導入したり、掃除を外注したりしてみたい。
掃除をしなくていい世界線。それは、自分の価値観に沿って生きている世界線でもある。
そんな世界線があると信じて、今日も私は、みずから えらぶ。
人のために料理をすることが苦手、という話。
忘れっぽい私にはリマインダー、という話。
私の人生では常套手段のジョブクラフティングの話。