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私の興味、ジョブクラフティング添え

私は、夕飯のメニューが決められなかった。

冷蔵庫の前で、立ち尽くす。何を作ってもいい。それなのに、何も決まらない。「何を作ってもいい」は、私にとって「何も決められない」と同じだった。

あるとき、問いを変えてみた。「今日は何を作るか」ではなく、「今日の食卓に、野菜と、たんぱく質と、炭水化物をどう置くか」。

決められた。

以来、メニューを考えるのをやめて、栄養の枠を埋めるように考えている。枠が埋まって量が足りなければ、炭水化物を足す。それだけで、うちの夕飯は回り始めた。

最初は、抽象度の問題だと思っていた。「メニュー」は広すぎる問いで、「材料」は具体的な問いだから、決められたのだと。でも、考えてみるとおかしい。「盛り付けの美しさ」だって、十分に具体的だ。それなのに、彩りで夕飯を決められる気は、まるでしない。

効いたのは、具体的だったからではない。栄養という言葉が、私の興味の土地にあったからだ。

白状すると、私は「重要だから」では動けない。重要だと頭で分かることと、体が動くことが、別の回路になっているらしい。重要性を、興味の言葉に翻訳できたときだけ、エンジンがかかる。

あとで知ったのだが、この「翻訳」にも名前があった。リフレーミング——枠組みの掛け替え。仕事の世界にはジョブ・クラフティングという研究もあって、その中に、仕事の意味を自分で捉え直す「認知クラフティング」という型がある。会社の研究に、家事版があったわけだ。私がやっていたのは、夕飯のジョブ・クラフティングだったらしい。

ただ、この技には前提がある。持ち込む先の「興味の土地」が、耕されていることだ。

私の場合は、健康だった。もともと、砂糖と脂肪の派手な味より、出汁の滋味深さが好きだった。糖と脂肪は本能に直接訴えかける上に安価だから、世に溢れている——その理屈を知ってからは、なおさらだ。体に栄養が染みわたっていけば、それでいい。そういう土地を、私は長年かけて耕してきた。だから「栄養」という言葉に、夕飯を持ち込めた。

自分の興味の地図を持っていること。どの土地なら耕せるのかを、知っていること。翻訳の技は、その上でしか働かない。だから、この話の本当の始まりは、夕飯より、ずっと手前にあるのだと思う。

私のイフゼンには、こう書いてある。

「動けないタスクは、自分の興味の言葉に翻訳してみる。」

もっとも、翻訳がいつも上手くいくわけではない。たとえば掃除だ。家事の中で、断トツで嫌いだ。自分がやる必要性を、どうしても感じない。機械でもいいとすら思っている。ロボット掃除機も検討したが、小さなものが床に散らばる時期の我が家では、諦めた。それでも家のことは私の仕事で、家族は掃除された家で暮らしたい。だから「家族の気分を良くするための仕事」と翻訳してみた。少しは、ましになった。

ただ、この程度の翻訳では、出力が弱い。強い興味と同じ日に並ぶと、あっさり負ける。掃除とこのブログの執筆が同じ午前にあると、勝つのは、いつもブログだ。

翻訳できても出力が弱いもの、そもそも翻訳できないもの。それをどう回すかは、翻訳ではなく、仕組みの話になる。また、別の日に書くことにする。

私は、今日も掃除機の前を素通りして、この記事を書いた。

みずから えらぶ。

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