私は、忘れる。
傘を持って出かけて、雨が上がると、傘を忘れて帰ってくる。思い出させてくれていた雨が、やんでしまうからだ。暗記も苦手で、2段階認証の8桁の数字すら、画面を切り替えるあいだに怪しくなる。おそらく、ワーキングメモリーの容量が小さいのだと思う。
だから仕事では、とにかくメモを取る。腕に直接書いていた時期もある。あれは若いうちはよかったが、歳を取ってから困った。書いた文字が、なかなか消えてくれないのだ。今はチェックリストが手放せない。ないと少し不安になる。先日、チェックリスト代わりに使っていたメモの切れ端をなくして、そわそわした。チェックリストを使わない人の気持ちが、昔から分からなかった。今思えば、チェックリストは定型発達の方にはあまり必要のないもので、私のような忘れっぽい人間に向けた安全装置だったのかもしれない。
そんな私は、自分の記憶を信用することをやめた。
予定が生まれたら、その場でスマホのリマインダーに入れる。「あとで入れよう」は禁止。あとで入れようと思ったことも、忘れるからだ。翌日の朝活でやりたいことを思いついたら、その場で入れる。子どもに鍵を持たせる日のような、逃すと痛い目を見るものほど、先に入れる。そうしておけば、その時が来たとき、スマホが向こうから教えてくれる。
考えてみれば、子どもの頃、この役は親がやってくれていた。「明日プールでしょ」「今日は歯医者よ」。思い返すと、子どもの頃の私は、自分を忘れっぽいと思っていなかった。あれは私の記憶力が良かったのではなく、親という外部装置が動いていたからではないか。大人になると、親は隣にいない。忘れっぽさが顕在化したのは、性能が落ちたからではなく、装置が外れたからかもしれない。リマインダーは、あの席に座り直した親のようなものだ。そう考えると、私のような忘れっぽい人間には、ずいぶん生きやすい時代になったものだ。
あとで知ったのだが、この「その時が来たら思い出す」という記憶には、展望記憶という名前がついていた。私のような凸凹持ちの弱点の定番らしい。道具で補うのは、支援の世界でも王道なのだそうだ。私のやり方は、私だけの発明ではなかった。
ここで大事なのは、リマインダーを使っても、忘れっぽさは一切直っていない、ということだ。私は今日も、傘を置いてくるし、8桁の数字を覚えられない。直そうとして直ったことは、一度もない。
それでも、息がしやすくなった。
リマインダーは、忘れっぽさを直す道具ではない。忘れっぽさを直さないまま、息がしやすくなる装置だ。修正ではなく、補助。矯正ではなく、装具。眼鏡が視力を治さないまま世界を見せてくれるのと、同じ理屈である。
ふと見ると、スマホの実行済みタスクは、2500個を超えていた。隣に「消去」というボタンがある。でも、今はなんとなく、消さないでおくことにした。私の特性をカバーしてもらった、証のようなものだから。
以前、名前を知ると息ができる、と書いた。道具にも、同じ働きがあるらしい。
私のイフゼンには、こう書いてある。
「予定が生まれたら、その場でスマホへ。」
私は、今日も忘れる。それでも、息はしやすい。
みずから えらぶ。
コメント