「ASDの方には定期面談をおすすめする」
ASD関連の書籍に書いてあった一文である。初めは、何気ないTIPSの1つだと思っていた。読み進めると、こう続いていた。
「ASDの方は相談できない傾向がある」
グサッ。ASDの診断を受けた訳ではないが、確実に、私の何かに刺さった。
相談が苦手、というより必要性を感じていない
私は相談することが苦手なのだ。いや、『相談が苦手』というよりは『相談の必要性を感じていない』のほうが正確かもしれない。必要性を感じていないから、相談しない。至極当たり前である。
しかし、それで痛い目を見たことが何度もある。特に家庭では困っている。
「相談してよ」と言われたことがあるわけではない。それでも、長期休みの遠出、家電の買い替え。思いつく節はたくさんある。
困っているのは相談する内容ではなく、タイミングのほうだ。冒頭で触れた書籍にも、きちんとこう書いてあった。
ASDの人は「どういう状況になったら、相談する必要があるか」ということを判断することが苦手です
ぐうの音も出ない。
私の場合、決断の直前になって「パートナーに断りを入れておこう」と思う。そこから説明を始めると当然物言いが入り、なんとなくばつが悪くなる。判断の材料を出す場ではなく、決めたことの承認をもらう場になってしまっているのだから、そうなって当たり前である。
そこに、冒頭の「定期面談」が刺さる。
私の家庭の定期面談は、休日の朝
家庭で定期面談というと物々しいが、要は相談するタイミングを先に決めておくだけだ。
我が家だと、休日の朝がそれにあたる。確実に家族全員が揃うし、私もパートナーも心身ともに余裕がある。タイミングを判断するのが苦手なら、判断しなくて済むように固定してしまえばいい。
相談しにくい人には、この『定期』面談の仕組みづくりを試してみてほしい。
私が『定期』のほうを推す理由
私は『定期』の部分を強く推したい。定期的に話す機会をつくるのだ。
はじめは『こんなことを考えている』くらいの話でいいんじゃないだろうか。
私だったら『長期休みに、○○で□□をするのはどうかな』みたいな感じだ。仕事なら『△△の業務の☆☆の部分が難しいです』だろうか。
決まった間隔で、少しずつ吐き出すイメージである。そのほうが、関わる人のダメージも小さくて済む。決断直前に大きな塊をぶつけられるより、小さく何度も渡されるほうが、受け取る側は明らかに楽だ。
聴いてくれる人がいないときは、対価を払う
『定期面談』は、対価を払って強制力を働かせるのもいい気がしている。特に、相談や面談を実施してくれる人が身近にいない場合には有効だと思う。
私の場合、第三者に話を聴いてもらう機会を定期的に取っている。テーマがあってもなくても、定期的に『吐き出す』こと自体に意味があったように思う。
正直に書くと、はじめは『吐き出す』ために仕事にコミットしていたきらいがある。話す材料が要るから、仕事に打ち込む。順序が逆である。ところが続けているうちに、逆も成り立っていることに気がついた。吐き出す場があるから、仕事にコミットできていたのだ。今の仕事のどんなところが楽しいのか、どんなときに楽しくないのか、何がそうさせるのか。多くのことに気づけたと思う。
第三者に無料で聴いてもらうことに抵抗がある人は、ご飯やお茶をごちそうする代わりに話を聴いてもらおう。大事なのは、持続可能な形で「定期」を設定することだ。
選んだ結果は、ここに置く
もし、あなたが「相談することが苦手」で、すでに「何かしらの実害が起きている」なら、ぜひ『定期』面談を対策の一つに検討してみてほしい。
如実に世界が変わる、なんて大それたことは起きないと思う。それでも、今より少しは生きやすくなるはずだ。……いや、それも約束はできない。
約束できることは一つだけで、選んで、行動して、その結果どうなったかを、私はここに置いていくということだ。効果があったかどうかは、しばらく先の私が答えを持っている。
だから私は、みずからえらぶ。
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