私は時々、寝込むくらいの体調不良を起こす。それが決まって、家族が揃う長期休みと重なる。
これまでは、こう考えていた。張っていた緊張の糸が切れるのだろう、と。長期休みには流行り病も多い。ただ最近は、別の見方もするようになった。
長期休みのあいだは、家族が家にいる時間が長くなる。昼食を考える。自分の動きが制限される。そのストレスのほうが、原因なのではないか。
子どもは、いずれ巣立つ
子どもは、多くの場合いつか巣立っていく。うちの子も、いまのところ寄りかかる方向ではなく、巣立つ方向に育っている。私たちがそうなるように環境を作っている節もある。
一方で、パートナーとは逆のことが起きるのだろう。年を重ねるほど、一緒に過ごす時間は増えていくのが一般的だと思う。
減るのが不安なのは、自分の時間のほうだ
正直に書く。私が不安なのは、パートナーと過ごすことではない。自分の時間が減ることのほうだ。
思うに、年々、私の習慣はより自分に合う形へ近づき続けている。少しずつ手を入れて、そのたびに少しだけ良くなる。完成する気配はないが、確かに寄ってきてはいる。そして自分に寄るほど、それを崩されることへのネガティブな感情も強くなった。昔は、ここまで嫌ではなかった。
私だけの感覚かもしれない。ただ、長く連れ添った二人にはよくある話のような気もしている。
趣味が合えば一緒にできていい、という話をよく聞く。だが私は、たぶんそちらには行けない。趣味は、自分のペースで、横やりを受けずにやりたい。
わがままだと言われたら、そのとおりだと思う。それでも、いまのところこれが本音である。
書いていて、救いようがないと思った
着地としては最悪だ。書きながら、なんと救いようのないわがままだろうかと思った。
唯一の救いは、子どもが巣立つ前に気づけたことである。
気づいたのなら、できることはある。パートナーに理解を求めることもできる。互いが満足できる点を探すこともできる。そして、それまでにまだ時間がある。
その点は、すでに見つかりつつある。お互いにストレスなく一緒にできる、趣味のようなものがあるのだ。しかもそれは、子育てから離れていくほど育っていく類のものである。
それぞれの趣味と、二人の趣味
ここまで書いて、気づいたことがある。
趣味には、それぞれの趣味と、二人の趣味とがあるのだ。自分のペースでやりたいと書いたのは、前者のほうである。後者はむしろ、パートナーがいなければ成立しない。
そう考えると、私が守りたかったのは趣味そのものではなく、それぞれの趣味の時間だったことになる。パートナーシップにも、メリハリは大切なのだ。
減るものの話ばかり書いてきたが、増える見込みのあるものも、ちゃんとある。それを育てていきたいと思っている。
独り立ちした者どうしで
私の理想は、それぞれが独り立ちしたパートナーでいることだ。
案外、救いのある着地になったかもしれない。
そんな世界線にいたれるように、みずからえらんでいく。
長期休みの憂鬱の話。
家族にうまく相談できていない人に勧める定期面談の話。